1976年の日本来日公演直後に発表された
『ズート・アリュ
アーズ』は、“ZAPPA”名義で発表される。これは、名前が
そのままバンド名となったものだ。これ以降、“ZAPPA”も
しくは“FRANK ZAPPA”名義の発表となり、マザーズという
名義は使われていない。
そこで、このサイトでは、かなり乱暴だが、これ以降のキャリアを、ここに放り込んでしまおう。乱暴というのは、ザッパが死去するのは1993年だから、18年分のキャリアを1グループにしてしまっているからだ。だが、たんに名義が変わったというだけではなく、音楽的にも、手並み鮮やかともいえる成熟期に達したと思うから、大雑把に把握するには適していると思う。
1978年に発表された、人気ライブ盤
『ザッパ・イン・
ニューヨーク』はフュージョンともクロスオーバーともつかぬジャンル超越の真にプログレッシブな作品。ブレッカー・ブラザーズもゲスト参加してる豪華盤だ。本来は
『スタジオ・タン』(1978)、
『スリープ・ダート』(1979)、
『オーケストラル・フェイバリッツ』(1979)とともに、ボックス・セット
『レザー』として発表されるはずだった。(1996年に本来の
かたちにボーナス・トラックを付け、CD3枚組で発売された。)
そして特筆すべきは1979年。この年はなんと5枚ものアルバム(LPでは7枚分)を発表した、ザッパ・イヤーとも言える年だ。そのなかでも頂点に位置するのは
『シーク・ヤブー
ティ』。娯楽性と音楽性が両立した、疾走感溢れる楽しい作品だ。また、バイオニック・ファンクというコンセプトで黒人音楽総括した
『ジョーのガレージ ACT 1,2&3』(1979)はロック・オペラの大作だ。
1981年以降、1993年の死去までには、ロック作品以外にも、シンクラヴィアによる自動演奏作品『ジャズ・フロム・ヘル』(1986)(88年にグラミー賞受賞)や、オーケストラ作品『ロンドン・シンフォニー・オーケストラ VOL.1&2』(1983,1987)、自身のギターソロばかりを集めた作品『黙ってギターを弾いてくれ』(1981)『ギター』(1988)、ライブ作品『オン・ステージ VOL.1〜6』『ザ・ベスト・バンド・ユー・ネヴァー・ハード・イン・ユア・ライフ』(1991)など、その他数多くの作品を残している。
また死後にも未発表音源の発掘が続いている。『ロスト・エピソード』(1996)、『ミステリー・ディスク』(1998)、『ジョーのコサージュ』(2004)、『ジョーのドマージュ』(2004)、『ジョーのクリスマスアージ』(2006)、『イマジナリー・ディジージーズ』(2006)など…。